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1995-2015
Edufund



「日中児童教育基金」の軌跡

(2007年8月1日現在)

 基金の歩んできた道を時間順で綴ったものです。最新のものは、一番下にあります。


93年秋、CHINFOリストで中国の教育問題に関する議論があり、関心のある人 達が集まり、edufundリストが李述さんのところで作られ、会の発足準備に関 する意見交換が行われた。

94年2月、徐剛が北京で、「希望工程」の代表と会い、情報収集し、協力の 約束を得た。また、政協全国委員で中国科学院の馬頌徳教授に協力を要請し、 毎年一度現地への視察をしてくれることとなった。

会の代表(影響力のある人)を探していたが、見つからなくて、暫く進展がな かった。

94年秋、大阪府日中友好協会副会長山中林之助先生が会長就任を断わり、顧 問への就任を受諾。同副理事長の森隆先生を推薦したが、森先生も会長への就 任を断わったが、協力を約束。

このような状況下で、留学生だけで、とりあえず会を発足させ、活動を始める ことにした。活動の途中、適当な人がいれば、会長へ据えると決定。

edufundリストに残り、引き続き活動に参加する徐剛、李述さん、陳傑さん、 董吉吉学さんが理事となり、徐剛を理事長に選出、任期は2年間、96年12 月までとする。大阪府日中友好協会理事野久尾明代が事務局(徐剛の自宅)担当。

「希望工程」や馬先生と連絡をとり、援助対象の県を選択。少数民族地区で、 交通の便を考え北京から非常に遠くはないという条件のもと、「希望工程」が 河北省寛城満族自治県を推薦、基金は討論の末、受け入れ。

教育基金の構想の最初から活動をしてきたが、edufundには参加しなかった徐 強さんが理事として参加。

郵便局で「日中児童教育基金」の名義で口座を作る。 番号は00960ー9ー69932となる。

パンフレットの原稿を作成。議論を通じ、決定。印刷に出す。

95年1月から、寄付金が入り始める。

印刷あがりのパンフレットを各理事が配り始める。

95年2月、教育基金の口座で中国人留学生犠牲者のための地震見舞金を受け 付ける。

95年4月、COMを通じて、活動に参加する人を募集し、李拡建さん、陳黎明 さんが参加を表明、edufundに加える。

95年5月、広中平祐先生が顧問となった。パンフレットを印刷しなおす。

95年6月2日、2000ドルを希望工程に送金。馬先生と呉静儀先生(馬先 生夫人)も10人分(4000元)持参。併せて50人分。よって、1995 年の目標の半分を達成

95年6月、堀資永さんのご指摘で、日本人の理事を探す。才脇直樹さん(阪 大助手)が理事会に参加。

95年6月23日、董吉吉学さんが北京で希望工程の甘東宇さん(日中児童教 育基金を担当)と面談。以下のことを決定:
 希望工程の甘東宇さんは
・助学対象学生の選出、助学金の分配(各学校の学長まで)。
・助学対象学生のリストなどの資料を作成して提供する。
・助学対象学生からの学習(成績)報告、寄付者への手紙などのまとめ、 及びこれらの書類の日中児童教育基金への発送。
・日中児童教育基金からの現地視察の要求がある時、関連部門への連絡、 交通案内などの調達。
を担当する。

95年6月26日、希望工程は、一回目の子どものリストを9月に送付してく ると通知。

95年7月2日、恵泉会理事長滝田和子先生が顧問へ就任。

95年9月末、40名の児童リストが送られてきたが、希望工程のミスで寛城 以外の県になってしまった。その後、馬先生より10名のリストをもらった。

95年11月24日、待兼山会館にて懇親会。20名近くの出席を得た。

95年12月1日、50名分の奨学金(2500ドル)を送金。

95年12月17日、産経新聞(北摂版)に、18日に読売新聞(北摂版)に 記事があり。問い合わせ、寄付が多数あり。

95年12月27日、95年の活動報告、会計報告を作成、発送。

96年1月5日、朝日新聞社会面に記事があり、問い合わせ、寄付が多数あり。 翌日に米田建築共栄会より50万円を現金で受領。

96年1月19日、小学校修築費用として10万元(12500ドル=133 万3750円)を送金。

96年1月19日、大阪府日中友好協会常務理事、大毎広告株式会社常務取締 役赤木富夫氏、顧問へ就任

96年1月下旬、日中科学技術協会事務局長福岡光煕氏、顧問へ就任。
池田市日中友好協会評議員山田史郎氏、監査役に就任

96年2月上旬、黄yanさんが理事に就任。黄さんはedufundに加 わる。

96年2月上旬、広中平祐先生を名誉顧問とする。

96年2月11日、馬先生、呉先生が寛城を視察。14日、理事会はその報告 に基づき、寛城県葦子溝郷木杖子村小学校を修築することを決定、希望工程に通知。

96年2月下旬、新しいパンフレットを印刷。夏の訪中団ツアーのご案内と一緒に寄付者に送付。

96年2月下旬、基金の振り替え口座の管理を陳黎明理事が、事務局を才脇理事が引き継ぐ。

96年8月20日ー8月25日、訪中団15名(中川和雄前大阪府知事が団長、 山中林之助大阪府日中友好協会副会長が顧問、徐剛理事長が団長)が北京、承徳、 寛城を訪問。交通の都合上、代表4名(徐剛、後藤利昭、高倉康一、番匠和子) が中日友好希望小学校を視察、式典に参加。時間がなかったため、児童との交流は できず。

96年9月2日、久芳さんが貴州省仁懐市和子小学の建築に、20万人民元を送金。 学校の建設が着工。

96年9月4日、董吉吉学理事が多忙のため、理事会を引退。

96年9月9日、久芳成行様を貴州省仁懐市和子小学寄贈者として顧問に迎える。

96年11月6日、日中児童教育基金規約が成立。

96年11月12日、理事長選挙が行われ、徐剛理事長が再選され、 任期は97年12月まで。

96年11月15日、関陽さんが理事となる。

96年11月25日、陳傑理事が引退。

96年12月 事務局担当理事才脇直樹さんが引退を表明。 関陽理事が97年から事務局を引き継ぐ。

97年2月17日、次の送金が行われた。
1)寛城の失学児童のために 4万元
2)雲南の小学校建設のため、10万元
3)寛城満族自治県中日友好小学の希望文庫のため、3千元
97年2月から3月にかけて、久芳顧問一行は、 貴州省仁懐市和子小学校の落成式に参加し、熱烈歓迎を受けた。

97年3月8日、大阪梅田にて総会が開かれる。
40人近くの参加を得た。理事会は活動と会計の報告を行い、 参加者と理事会は、質問応答があり、活発な討論も行われた。

97年5月、久芳顧問は、貴州省仁懐市和子小学校の図書室の建設のために 7万人民元を持参し、二度目の貴州入り。その際、仁懐市に多大な貢献をな された功績を讃えられ、仁懐市長から仁懐市名誉市民の称号を授与された。

97年11月、関陽理事が次期(98年)理事長に選ばれた。

97年11月、寛城から114名の奨学生名簿が届いた。

97年11月、李拡建理事と陳黎明理事が多忙のため、理事会を引退。山田監 査役は健康上の理由で、引退を表明。後任として、木本直志兵庫県日中友好協 会理事、神戸留学生友の会事務局長が基金監査役に就任。黄Yan理事は離日のた め、理事会を引退。

98年1月、羽/佳 貴生さんが理事会に参加。

98年2月、大西史子さんが理事会に参加。 藤崎正敏神戸商科大学教授、神戸留学生友の会会長が 顧問に就任。

1998年4月4日、大阪梅田阪急にて、日中児童教育基金の総会が開かれた。1997年の 活動と収支決算について報告し、また、和子小学校開校式典のビデオや写真を披露した後、寄 付者と理事会との質疑応答を行いました。総会終了後、中国料理店にて楽しい夕食会がありま した。

1998年8月、関陽理事長が北京で「春蕾計画」を訪れ、情報収集し、協力の 約束を得た。

1998年9月、湖北省公安県に春蕾クラスを設立。洪水で家が失った50名の女子児童が学 校で寄宿しながら勉強を続けられるようになった。

1998年12月、阪大学中国人留学生学友会と共同で、地震で倒壊した河北省尚義県紅土梁 鎮小学校の再建を支援。

1999年1月、盧存偉さんが理事会に加わる。

1999年2月、魚住すれみさんが理事会に加わる。

1999年*月、河北省寛城満族自治県失学児童90名(小学生60名、中学生30名)に奨学金を援助。

1999年、東京支部を中心に湖南省劉陽市「耀家和光彩小学校」を建設、9月1日に開校。

1999年6月、劉志軍氏が河北省寛城満族自治県訪問。

1999年12月、理事会の決意囲により,基金の会計年度を元の1月1日〜12月31日から4月1日〜 翌年の3月31日に変更。2000会計年度は2000年1月1日から2001年3月31日までとなった。

2000年1月、関陽理事長の任期満了と伴って,サイ貴生理事を新理事長に選出。

2000年2月、徐剛理事らが河北省寛城満族自治県訪問。

2000年5月、大阪國際交流センターにて、2000年度総会が開かれ。
同年、河北省寛城県の失学小学生99名に奨学金を交付,河北省寛城県の小学校5校に 教育実験器具設備を整備,湖南省渕陽市耀家和光彩小学校の校庭舗装と植樹,湖南省渕 陽市耀家和光彩小学校の貧困児童と優秀教師38名に支援金.

2001年4月1日、サイ貴生理事長が任期満了,盧存偉理事を新理事長に選出

2001年4月、木本直志監査役の退任と伴って,福岡工業大学の大山先生が新監査役に就任

2001年4月、大西史子理事が任期満了で退任

2001年5月、大阪梅田で2001年度第1回理事会を開き,基金のこれからの運営方針,NPO化, 総会の開催などについて議論した.

2001年6月16日、大阪大阪國際交流センターで2001年度総会を開き、2000年度の活動と収 支決算について報告し、承認され。また、NPO化にすることは全員一致で可決。夕方, 懇親会があった。

2001年6月、横川美代子さんが理事会に加わる。

2001年7月、尾末一道さんが理事会に加わる。

2002年12月1日,神戸市基金事務所で理事会を開き,2001年度の総括を行い,これからの 基金の活動方針に関する議論を行った. 基金の援助を受けた各小学校の児童の今現在までの生活状況を調査する追跡調査を行い, 調査結果によりこれからの援助方式を決めるように,これからの活動方法を決定した.
また,基金のNPO化について、関氏より今までの進展状況報告があり、法人化のメリッ トとデメリットなどについて幅広く議論した後、現時点では関西本部はNPO申請をしな いことを決めた。

2003年4月、尾末一道理事が任期満了で退任

2003年7月21日、神戸市基金事務所で2001年度総会を開き、2002年度の活動と収支決算に ついて報告し、承認され。
また、追跡調査のデータ解析報告があり,数多くの家族一人当たりの平均年収は600 元以下である調査結果により, これからの援助重点はコンピュータ室の設置ではなく,貧困児童の生活補助のはずだ との結論があった。夕方,懇親会があった。

2004年4月、井山英男さんが理事会に加わる。

2004年6月20日(日)、神戸市基金事務所で2001年度総会を開き、2003年度の活動と収支 決算について報告し、承認され。
また,基金本部と東京支部の共同事業として,和子小学校に新総合教育施設を建設する ことを決定した.

2004年11月、陳延偉さんが理事会に加わる。

2005年3月,役員の老齢化に伴い,東京支部は2005年3月31日を持って閉鎖しました. それに伴って,湖南省渕陽市耀家和光彩小学校への援助事業は日中協力センターが, 貴州省仁懐市和子小学校への援助事業は基金本部が引き継いで行なう.
また,これに伴い,東京支部責任者の久芳成行氏は基金顧問を辞任.

2005年8月,盧存偉理事長が任期満了,横川美代子理事を理事長に選出.

2005年8月6日、大阪府立大学にて、日中児童教育基金の平成17年度総会を開催し, 2004年度活動報告と会計報告,2005年度の活動計画,事務所移転などについて議論した。

2005年8月,基金事務所は神戸から立命館大学徐研究室に移転.

2006年3月,中国華東工学院長江学院日本語学科貧困大学生一名に支援金.

2006年7月2日、大阪府立大学にて、日中児童教育基金の平成18年度総会を開催し,2005年度 活動報告と会計報告,2006年度の活動計画などについて議論した。

2006年7月、元中国天津外国語学院日本語教師の水原静香氏と元中国華東工学院日本語教師の 勘山悟氏が理事会に加わる。

2007年7月14日、大阪府立大学にて、日中児童教育基金の平成19年度総会を開催し,2006年度 活動報告と会計報告,2007年度の活動計画などについて議論しました。横川美代子理事長が任 期満了,水原静香理事を理事長,井山英男氏を理事長補佐に選出。

2008年7月5日、大阪市立大学にて、日中児童教育基金の平成20年度総会を開催し,2007年度活 動報告と会計報告,2008年度の活動計画などについて議論した。夕方,懇親会があった。

2008年7月5日、日昌(天津)精密加工有限公司のZhai Huo生氏が理事会に加わる。

2009年7月18日、大阪市立大学にて、日中児童教育基金の平成21年度総会を開催し,2008年度活 動報告と会計報告,2009年度の活動計画などについて議論した。夕方,懇親会があった。

2009年7月18日、大阪府水道部東部水道事業所の杉田実氏が理事会に加わる。


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